2019-04-07

今日の早朝に、曾祖母が亡くなった。もう100も近かったのでおそらく一番安らかな死の形で亡くなった。

だから、良かったのだと思う。施設から病院に運ばれていたときは、もう意識が朦朧としていたという。そのとき、曾祖母がどのようなことを思っていたのか、私にはわからない。或いは、なにも思うような余裕なんてなかったのかもしれない。怖かったのだろうか。私にはわからない。そこにはいなかったし、声もかけることだってできなかった。

 

子供の頃、皆忙しくて、曾祖母だけが遊び相手になってくれていた。そのことだけをずっと覚えている。曾祖母の部屋が好きだった。そのことだけをずっと覚えている。好きな人の死に寄せて、どのように感情を葬送すればいいのか、未だにわからない。

そうとはいえ、大往生だ。そう悪いことではない。

最後に見た記憶が、景色が、優しいものであってほしいと願う。