2021-12-07

実益のあること、実学的なことから距離を置かなければ飲み込まれてしまう。そんなことを常に念じ続けなければ精神性を保っていられなくなってどれだけの時間が経っただろうか。

5年とか6年とか、それくらいだろうか。ずっと抗い続けているような心地だ。私の心が本当にそうあるのか、惰性としてそのようにあるようになってしまったのか、わからない。わからないふりをしている。

たまに詩を思い出すこと、思い出したように短歌を連ねてみること、散歩に行ってシャッターをおろすこと、この世界に尋め行くために本を読むこと、その一つ一つが私自身に対する抵抗なのだと感じている。

変わることも、変わらないことも恐ろしい。変わることに自覚がないことも、変わらないことに自覚があることも、やっぱり怖い。

見る夢は過去のことばかりになった。それも小学校から高校のころのことばかり。全てはなかったことがそこでは起こっている。

 

いつもなにかをするときに、「中学の頃の自分がそれを見て、自分を許せるか」というのが指針になっている。多分許してくれないだろうな、と苦笑いすることも、なくは、ないけれど。できるだけないようにと、そのように間違いなく思っている。

 

私が好きだったことが、今でも好きであり続けられますように、これから先も好きでいつづけられますように、と願うことは、やっぱりすこしばかり虚しいと思ってもしまうけれど。

 

朝、日が照らしはじめる外の世界をみて、美しいと思う。海を見たいと思う、遠くへ行きたいと思う。いつまでもいつまでも、思い続ける。

私は、それができる。それができるようになったよ、といつかの私に言ってみる。