2018-5-12(名付けはいつも幸福のために)

名前を呼ばれることが苦手で、だから名前以外で呼んでもらうようにいつだって最初にお願いをする。

どうして苦手なのか、いつから苦手なのかわからない。気がつけば苦手だった。たぶん小学生の時とか、そのあたりから苦手になっていた。本当は、記憶を辿ればわかるのだと思う。でも記憶を辿ることは無意味に苦しい行為だから、それをすることはない。

それでも何人か、私のことを名前で呼んでくれる人たちがいる。大抵はとても古い友人で、年に一度、もしかしたら数年に一度しか、彼ら彼女らの口から私の名前を呼ぶのを聞くことはない。

 

心地よく響くその、遠く私を呼ぶ声に、名付けられた幸福のことを思う。