2018-09-20

雨の日が多い。

本を何冊かローテーションしながら読み進めている。

私が私のために生きようとしたとき、私はどのように生きるのかわからずにいる。そうかといっていま誰かのために生きているような自覚はなくて、限りなく私のためだけに生きているのだと思う。

それでも、確実にしがらみのようなものはあって、それがずっと胸につかえている。例えばそのようなしがらみから解放されたとき、どのように私はあるのだろうか。

なんとなく、海を見に行くのだろうなと思っている。遠くの、ずっと遠くの。でもその先はわからない。その海では私は暮らさない。今ある場所にも戻らない。居続ける事ができない私は、やっぱりどこかへ行ってしまう。囚われないように、何かになってしまわないように。

 

遠くの草原で、羊たちがあくびをしている。遠くの雪原ではそこにしかない花が咲いた。庭にはコオロギたちが鳴いている。

秒針の音が聞こえる、夜が来る、クジラの夢を見る。

2018-09-09

徐々に秋は近づいてきているような、天気だけれど、相変わらず日焼け止めは必要だし、帽子だってかぶっている。

秋は夜からやってくる。

夏の終わりの、夏の夢を見た。

花の名前を数えて、遠くの国の、絵本の国の姫君たちを眺めてはその世界を夢想した。いくつもの宇宙を見たし、それを見る人達を見ていることも好きだった。

いつだかと違って、霧はでていなくて、陽射しと雨が交互に頭の上に降り注いだ。

いつだかと違って、注文したものはちゃんとサーブされたし、少しずつ、何もかもが違う。私だって違うし、周りだって違うし、それは意識されないものだけれど、意識した瞬間にずっと遠くにいってしまうもののような気がする。

蝉の声がだんだんと遠くなる、あるいはそれはすでにずっと昔だったのかもしれない、わかろうとすることさえできないことばかりの日常で、生きていく。

2018-09-03

お元気でしょうか、と文字を並べてみる。
この言葉は、届くのかもしれないし届かないのかもしれない。届けようと思えば、住所だって知っているし、メールなんかを送ってもそれはやっぱり届くのだろうと思うのです。

お元気でしょうか、だんだん夏が好きなようになってきた、と言っていたけれど、今年の夏も変わらず好きでいられたでしょうか。とても暑くてまいってしまうような日々で、身体の弱いあなたが倒れていないといいのですけれど。

お元気でしょうか、と書くこの言葉はその意味以上にずっと深く届けばいいと、無責任に思っています。

 

夏は永くて、秋はゆっくりで、この秋がどうか秋らしいものであればいいと願っています。そうすればきっと、あなたは元気でいられるのだから。

 

葬送のように、言葉を書くことが増えたように思う。

それならば、送っているのは何なのだろうかと考えるけれど、その実、何も送っていないのかもしれない。なにも失っていないのかもしれない。

失ったふりをすることで楽になろうとしているのかもしれない。

もし、そうなのだとすれば、私は楽になってはいけない。苦しんで苦しんで、救済なんて求めずに苦しむために苦しむことが必要なのだ。

2018-08-28

これから先、運が良ければ、何十年と生きて、何十年分の世界を見て、価値観を構築して。

きっとそれは、時間をかければかけるほどに他人とかけ離れていく。たとえ起点が同じだとしても絶対に重なるのはその数瞬だけで、その先、どのようにあっても乖離は広がっていく。

そんななかでわかろうとするのは、あまりにも莫迦らしいことなのかもしれない。時間を追えば追うほどに、遠くなっていくのに、今この瞬間が一番近いかもしれないのに、それでもわかろうとするなんて。

「理解」が「乖離」を上回ることはあるのだろうか。

2018-08-13

夢を見た。

屋上の庭。

緩やかな色彩で、パステルよりも鮮明で、それと同じ名前の香水をまとって、その庭だけでは自由でいられた。

 

とても薄情だけれど、死んだ人のことなんてどうでもいい。それも知らない人ならなおさら。「とても薄情」という言い訳を付けたけれど、これだって本心だとは思っていない。そのように有りなさい、そのようにあるはずだと、教育と、その過程で得た一般的な思考の一つであって、一皮むけば、その先には薄情ともなんとも思っていない自分がいる。

生きているものしか私にとって大切ではない。死人に時間を奪われてたまるか。あったはずの家族を奪われてたまるか。私の生きる時間を一秒だって、与えてたまるか。ずっとそこで寝ていてくれ。

 

2018-08-12

夏という季節から遠ざかっている。

星を見上げても、ここからではあまり見えないし、窓を開けるには暑すぎる。アイスはあまり得意ではないし、手持ち花火は禁止されている。職場までは駅直結で行けてしまうから地上に出る機会もない。

夏、夏というとどうだったかな、もう少し暑さ以外の要素があったと思う。例えばお盆の季節に集まる親戚だとか、家の庭でやる花火とか、町内会でやるような縁日だとか、流星群を見てみたり、がむしゃらに遠くに行ってみたり。

東京に来てから、すっかり夏を見失って、エアコンを効かせた涼しい部屋で過ごす時間がずっと増えた。

帰省もしなければ、なかなか遠出もできない。できればそういう夏は今年までにしたい。まだ、やりたいことはたくさんあって、いってみたい場所はたくさんあって、眺めたい星空はほんとうは今この頭上にある。

 

祭り囃子が、遠く聞こえる。夏を一つ、みつけた。