雑記

先日書いたようなことをずっと考えていて、多分一番最初に考えたのは11歳くらいの時で、当然それは当時の語彙力に即して、また経験に即した考え方だったけれど、結局行き着く結論はいつだって変わらない。幸せでありたいと思う。願うことが許されるのなら、どうか私に近しい人もみんな、みんな。それは半分以上自分のためであることは自覚しているから、許して。許してください。ひとつ、今を受け入れること。これが難しいこと(少なくとも私にとっては)で、簡単に目をそらしてしまうし、事実を捻じ曲げるし、時として意味をそぎ落として理解をしようとする。望んでいないものにならないために。望むべきことではないことを望まないように。

覚悟を決めろと、言う。受け入れろと、言う。ちゃんとお前は無知の海を泳げ。そうして彼岸へと辿りつけ。無謀な旅路ではない。言葉は用意してきた。灯台の光は規則的に点滅している。記憶は、忘れたくても、忘れてふりをしていても、諦めの悪い、負けず嫌いの私は覚えているでしょう?

 

左の瞼が痙攣する。左目の奥が、思い出したように痛む。まただ、と思う。去年、年を越す少し前、同じ症状に襲われて途中でバスを降りた。外の空気を吸って、けれど左目は痛む。遠近感覚が狂って歩くことが難しい。中二病の延長戦のようだと思って鼻で笑う。痛みはたしかにそこにあるのに。最初に痙攣がある。それから20分ほどの時間をおいて痛みが。そのあとすぐに吐き気が身体を支配して動けなくなる。今日は本を買いにショッピングモールに行くときに。向こう側が見えないほどの坪数の書店で両側を本に囲まれながら痙攣が始まった。まずいな、と慌てて探していた本を見つけるために検索機へと向かう。私の前では少年がカゲロウデイズを検索している。左目を軽く押さえる。マッサージ。効果なし。5分くらい経っただろうか。背中に汗をかく。検索機の前に立って文字を入力する。私は五十音の順番を覚えていないから、すこぶる入力が遅い。7文字打つのに1分近くかかる。左目を瞑る。

本棚の前に立って、文字をなぞる。「あ」から「ふ」まで。レジに立つ時に一度、強い痛みが走る。視界がちかちかと揺らめく。ああもう。はやく、少しでも早く、ここにいたら迷惑が

早足で巨大ショッピングモールを横断する。家族連れが多い。笑っている。心のどこかでそれを羨ましいと思いながら、でも絶対に私は家族では来たくないと、そう言うだろう。

一冊の本を抱えて、外に出る。半分の月が高架の上に輝く。電車が走るのと一緒に月の下を光が通り抜ける。吐く息は白い。藍色の空にその白が溶ける。見える世界と自分との境界が曖昧になる。この一日を越えたら、(ごく少数の)みんなに笑って貰える人に戻ろう。