2017/4/17

いくつかの意味のあった日付は、それは昔のことで、今となってはその意味を失って日常の中の過ぎていくひとつのいちにちに変わっていく。

そのことを淋しいとは思わないし、ある意味正常なことなのだろうと思う。そうして長い時間をかけて葬送されたそれは、今日みたいな春嵐の雨に紛れてたまに香ってくるくらいで、それでいい。

雨が降ってきた。部屋には雨音と、それと音楽。キーボードを打つ音。かの地では多分まだ桜は咲かない。

 

大人になるなんて。なるなんて。助けてくださいと誰とにもなくくちびるを動かす。誰も助けてはくれない、大人なのだから。

 

「大人なのだから、自分の道は自分でつけなさい」

「あなた自身の幸福はあなた自身で見つけなさい」

「あなたは大人なのだから、大人は楽しいということをその身をもって示しなさい」

 

あなた自身が定義した大人に、あなた自身が成りなさい。

2017-02-01

防犯シャッターなんて閉めたくなくて、夜はできるだけずっと外を見ていたい。

じっと、何も動くものはなくて、ただ虚空の一点だけを見つめている時間が好きで、数年前まではよくやっていた。京都にいるときにその時間を失って、そうしていまもそのままだ。

深呼吸。

夜を吸い込む。照らされた空気が身体に入ってくる。ひかりの線を飲み込む。

がんばらなくちゃ、とぼんやりとした頭で考える。

何のために?その答えは明確にあって、数年前の私はすでにそれを知っている。

誰にもきっと教えることはないけれど。

 

いつの日かこの日々を振り返ったその時に、懸命に生きた日々であるように、何一つ諦めず、強欲であったと誇れるように。

2017-01-19

今年の抱負はと聞かれて、そんなの立てたことないんだけどなあ、と困りつつ、まあでも、ああ、そうだなあ、と「目の前に立ちはだかるもの全部倒すこと」だと答えた。

それは、計画的なものではなく、一種衝動のようなものなのだけれど。

私が好き勝手言ってみんなを困らせるように、みんなも好き勝手言って困らせるから、だから全部倒したいと思ったの。

好き勝手言うみんなは案外嫌いじゃなくて、むしろ好意的に思っているから、だからちゃんと全部正面から受け止めて、その上で自分ができる出来る限りを何も惜しまずできたらもう少し、もう少しだけ自分の望む自分に近づけるだろうか。

それを「倒す」と表現してしまう自分の言葉の浅はかさには思い返して笑ってしまいたくなるけれど、意外と適切に自分がやりたいことを表しているようにも思う。

さあ、歩こう。

盲目の一団が、天井を仰いで

盲目の一団が、天井を仰いで、案内役の声に耳を傾ける。果物があしらわれた照明が視線の先にある。彼らが視るとはどういうことなのだろう、とぼんやりと外に目をやりながら、私は聞くともなくその説明を聞く。一つひとつ、丁寧に案内役が目に見えるものを挙げていく。盲導犬は気だるげに床に寝そべる。

案内役の声にまじり亡霊の声が、絶え間なく聞こえてくる。

「いきなり声をかけられたような気がしちゃう」と一人が言う。

「そういう展示なんですよ」と案内役が答える。

表情が、視えるんです。この少女は伏し目がちに、この男性は苦悶の表情を浮かべて、淑女は、猜疑心に溢れた目を、

 

「あなたは私に触れたから」

 

どこからか――上の方から――聞こえてきた声にふと我に返る。

「そんな感じがしませんか」と案内役は聴衆に問う、彼らは思い思いに頷く。この部屋はどういう空間なんですか、一人が聞く。ここは食堂で、とてもきらびやかな空間です。窓は半円形の空間に沿うようにはめ込まれ、部屋の真ん中にはテーブルが、窓の反対側には暖炉があります。

 

心臓音は、内製される音律だ。外部から規定されるものではない。だから内の音より外の音が大きい時、そのリズムが狂ってしまうような感覚にとらわれる。実際とらわれるのだろう。外圧による身体感覚の調節。それも長くは続かない、しばらくその空間にいればまた内のリズムと外のリズムは違うというこということに勝手に身体が気づく。その瞬間にまた私の身体は私に帰ってくる。瞬間的な自分からの異化。

 

盲目の一団はスクリーンの前で映し出された光を「視ている」。言葉を通して、あちらとこちらの境界のような、遠い海辺の風景を。

時代はいつ、どのような経緯でこの風景が構築されるに至ったのか(人為的?自然に?)、ひとつひとつ、想像で読み解く。

 

盲目の人が見る夢のことを思う。彼らの夢に色はあるのだろうか。

 

2016-12-07

バースデーイブ。

誰よりもはやいお祝いは灯台の光。

目まぐるしく状況は移り変わって留まることを許してはくれない。塩一トンの読書もできないままに日々は過ぎて、手を伸ばす先からするりと言葉はこぼれ落ちて、いつかこの手には何もなくなってしまうのではないかと思うと本当に怖い。

いつしか、手をのばすことそれ自体を恐れてしまうようになるのではないかと思う。

 

夜の風が冷たくて、ストールに顔を埋める。今日は昨日よりもずっと寒い。寒くて、月が綺麗だ。欠けた月に、白い息がかかる。やがてそれは霞んでいく。

 

より善く生きること、それになりたいものになるために努力をすること。

このふたつをずっとずっと抱えていられるようにあること。だから、怖くても続けなくてはいけない、続けたい、と思う。私が私自身でいるために、これからもそうやって歳を重ねていけるように。

小走りで冬を駆ける。

2016-11-26

TOPミュージアムへ、東京・TOKYO展を観に行く。

「東京のイメージは様々で、人によって違う」というのが冒頭の説明で、たしかに私のなかのイメージもとても曖昧なものだ。

東京タワーやスカイツリー、築地やスクランブル交差点、満員電車、電気街、銀座の百貨店。

私の一番最初の実態をもった記憶は、小学校に入学する前、岩手から神奈川に引っ越す新幹線の車内。あれが一番最初の東京だった。

2月で、ちょうど雪が降ったか、強風か、とにかく天候の不順によって新幹線が上野駅から出た瞬間に止まった。運悪く地下に入ったところで止まってしまったので、隣に座る母の機嫌は悪かった。家を出るときに「おとなしくしていたらゲームを買ってあげる」と言われていた私は静かに座っていた、と思う。実はあまり覚えていない。覚えているのは具合の悪くなるような空気と、薄暗い窓の外の風景だけだ。

最初がそんなのだから東京という街は薄暗くてジメジメしたものだと思っていた。神奈川にいた間も、東京には滅多に行くことはなかった。両親に連れて行かれることもなかったし、私もまた、行きたいとは言わなかった。当時見ていたテレビには東京の風景がたくさんあったはずなのに覚えていない。

その次にまた岩手に引っ越して、修学旅行で東京に来たときの記憶も曖昧だ。職場見学で出版社に行ったこと、仲良くない人と同室だったこと、そんなことしか覚えていない。覚えていたくないだけかもしれない。

次はしばらく飛んで、大学生の時。自由にいろいろな場所に行けるようになって、初めて1人で山手線に乗ってテレビで聞くような地名が本当に存在するということに静かに感動していたことを覚えている。あとは夜明けの冷たい空気。始発の、薄明るい街。友人の家。

書き出してもやっぱりまとまらない。そういう、特殊な土地なのだろうと思う。

私も、写真を撮ってみようか。東京だと思うたびにシャッターを切っていく。それらをつなげていけば共通点が見つかるだろうか。

それはなんだか、すごくおもしろそうだ。

2016-11-5

久々にFBを開いたら、数日前に従姉妹からメッセージが入っていた。

交流を持つのは10年ぶりだろうか。不思議と会ってみたいような気がして「今日会わない?」と誘っていた。私も、あの子も今は東京にいた。私は東京にいたことを隠していた(と言うよりあまり人に伝えていなかった)けれど、もういいかな、と思った。

今日は仕事がまだあるから、と19時過ぎに待ち合わせをした。私はなんだか落ち着かなくて早めに家を出た。16時の代々木公園は夕暮れで眩しかった。噴水の近くで少しだけ文章を書いた。木々は少しだけ、陽のあたる場所から色づきはじめていた。

風が冷たかった。

いつまで今日のこの瞬間のこの感情や、風景を覚えているのだろうと考えたけれど、すぐに忘れた。月が綺麗だった、遠くに見えた一番星はなんだっただろうか。空はまだ赤らんでいた。

 

待ち合わせ時間、駆けてくる靴音が聞こえた。10年ぶりにみたその顔は、記憶の中とそう変わっていなかった。FBで顔は確認していたけれど、それ以上にその子だった。

当たり障りのない話をして、それから家族にしかできない家族の話をした。そういうことができる相手が近くにいるのだということを、初めて知ったような気がした。「残すの嫌いだから」と注文しすぎた料理をそれでも食べるその子のことをすごくいいと思った。一つひとつ、店員さんの配膳にお礼を言う。礼儀正しいとも違う、なんだろう。物事を大切に扱える優しさのようなものが端々に感じられて、そういう子だったことをすっかり思い出した。それはもっと、洗練されたものになっていたけれど。

一つだけ、言わなかったことがあるけれど、それは私が背負うべきことだと話しながら改めて決めたから、それでいい。

10年前、夏にあった時に見た星空ほど美しいものをまだ知らないという言葉はなによりも胸に残っている。私もだ、って笑った。