2016-10-23

父から何年ぶりかに連絡があったのが一週間と少し前。それには一言だけの返信をした。

なんだかとても仲が悪いみたいだけれど、実際会ったところで多分喧嘩とか、罵倒の言葉を吐いたりだとかそういうことはしないと思う。できない、といった方が正しいのかもしれない。それだけの関係性がない。

父のことを考える時、いつも家族とはなんだろうと思う。

一般的にはただの血縁でしかないのに、それだけなのに、関わり続けなければいけない存在なのだろう。

父は父で、それを知らなかったのではないかと思っている。彼もまた父親の存在をほとんど知らなかったと聞いている。それすら父の口から聞いたわけではないけれど。母もまた父という存在を知らない。

誰も父親を知らない家庭のなかで育った私もまた父親という存在はよくわからない、いたけれど、それは父と呼べないうちにいなくなってしまった。

たぶん、また近いうちに連絡が来る。会いに行くかは、まだわからない。なにを話せばいいんだろう。話したいことは、言ってはいけないことばかりだ。それを言ってしまったらあの人はきっと苦しむ。苦しんだ結果よけいに自体がおかしくなってしまうことだってありえる。

行かない、ような気がしている。

2016-10-6

地球みたいな空、と夜道を歩きながら思った。意味がわからなくてひとりで笑った。言葉は脈絡もなく頭のなかに降ってきて(湧いてこない、降ってくる、流れ星じゃない、たぶん椿が落ちる感じ)、あとからその意味を考えたりする。

雲の作る斑が、まあるく見える空が、やっぱり地球みたいだった。

秋の風が心地よくて誰よりもゆっくりと歩いた。携帯を触りながら歩く人が私を次々と抜いていった。急がなくてもいいって、いいね。そう思えることが、いいね。

心地が良いからってさ、できるだけそこに長くいてちょっとだけスキップなんかもしちゃって、家々の壁には木々が揺れていた。風が吹いていた。

海が見たいと思った。遠くの、遠くの。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。

須賀敦子ユルスナールの靴』)

2016-09-28

先生、善く生きるとはどういうことですか?

先生。

私の目に、涙が浮かんだ。

善く生きるとは、

どういうことですか?

私はその文字を、見つめた。自分がここで座っていることが、怖くなった。こんなところで、今、なにをしているのか。

 

柴崎友香『ビリジアン』)

2016-09-27

「自分の人生が行き詰まってるからって、他人も世界も一緒にすんなよ。巻き添えにはならへんからな」

夕刊紙を読んでいたおっさんには、なんの反応もなかった。

ジャニスが目を開けているのに気づいた。わたしは言った。

「善く生きる、って……」

ジャニスは遮って言った。

「自分で考えろ」

ジャニスは右手で髪をぐしゃぐしゃ掻きながら大きな欠伸をした。茶色い髪の先に鳥の羽がついていた。

「自分で、死にそうになるまで考え続けろ」

柴崎友香『ビリジアン』)

 

2016-09-26

ひと駅分、歩くことにしている。

光が通り過ぎていく道で、手を後ろに組みながら、通り過ぎていく人たちを眺めて、きらきらとひかる街を眺めて歩くことはとても楽しい。

歩く速度で思考する。流れる曲のこと、今朝読んだ文章のこと、少しだけ昔のこと、あるいは未来のこと、見えている景色について、京都を泳ぐミルク色の金魚、遠くのこと。

歩く速度で思考する。その速さでしか物事を考えられないから。不意にこの時間を失わなければ大丈夫だと思うことができた。考えるために歩くということは誰にも理解されないかも知れないけれど(今日だって、凧揚げをしたいと言ったり、価値観のようなものを話したら不思議な顔をされてしまった)、私にはこの時間が必要でその事実だけが必要だった。

 

金木犀がそう言えば香った。

じゃあ、もう、金木犀の香水はおしまい。