2016-09-26

ひと駅分、歩くことにしている。

光が通り過ぎていく道で、手を後ろに組みながら、通り過ぎていく人たちを眺めて、きらきらとひかる街を眺めて歩くことはとても楽しい。

歩く速度で思考する。流れる曲のこと、今朝読んだ文章のこと、少しだけ昔のこと、あるいは未来のこと、見えている景色について、京都を泳ぐミルク色の金魚、遠くのこと。

歩く速度で思考する。その速さでしか物事を考えられないから。不意にこの時間を失わなければ大丈夫だと思うことができた。考えるために歩くということは誰にも理解されないかも知れないけれど(今日だって、凧揚げをしたいと言ったり、価値観のようなものを話したら不思議な顔をされてしまった)、私にはこの時間が必要でその事実だけが必要だった。

 

金木犀がそう言えば香った。

じゃあ、もう、金木犀の香水はおしまい。

2016-08-24

在来線と、新幹線で1時間半ほど。軽井沢がこんなに近いとは知らなかった。何も予定は決めていない。ただ、どこかに行きたくて、まあ、できれば涼しいところがよくて、くらいの浅い思考で行き先を決めた。

駅を出ると深い霧に包まれていた。数m先さえよく見えなかった。雲場池では緑の輪郭がなくなり、色が霧に溶け出していた。遠くに光るランプは橙色だった。

ペンションに着くと雨が降ってきた。雨の音を聞いていると眠くなった。頭痛は、しなかった。パンフレット等を眺めながら次に行く場所を決めた。知らなかったけれど、歩いていける範囲に幾つか有名な場所や施設があったらしい。

高原教会へむかった。中庭がキャンドルの炎でいっぱいだった。地面は暗闇のままで、偽物の星空みたいだった。星と近すぎて、星座をたどることはできなかった。神父さんからランタンをもらって、ひかりを掲げながら中庭を散歩した。ほんのりと右手が暖かかった。

軽井沢の夜は夜で、暗かった。目を閉じれば虫の音だけが聞こえた。枕が合わなくて眠れなかったから、諦めてその音だけを聞いていた。次第に眠気が訪れた。浅い夢とぼんやりとした現実を繰り返していた。霧の中にいるみたいだと思った。それならば、私から流れだした色は何だったのだろう。

2016-08-22

何年ぶりかに、関東に台風が上陸したという。

ビルの中に閉じこもっている間に、それは通りすぎてしまったけれど。まだを打ち付ける雨粒がうるさかった。だれもその音を気にしていなかった。キーボードをたたく音に次第にそれは混じっていった。

18時過ぎには雨も上がって、外の風景は一気に変わった。雲と雨で覆われていた視界が一気に晴れて、昔、何かの図鑑で見た恐竜たちが生きていた時代、恐竜の背景にあったような夕焼け空が広がっていた。

仕事を抜けだして、慌ててエレベーターで下まで降りて、外へ出た。けれども今度はビルに阻まれて暮れる空は見えなくなっていた。

 

帰り、電車はまだ止まっていたから少し遠回りをして帰ることにした。街の風はどこもまだ湿っていた。普段行き慣れない駅をふらふらと歩く。たい焼きを一つ買う。ゲームセンターに寄ってみる。なんとなく灯りのある方へ寄っていく。人の声がすれ違うたびに聞こえてくる。歩くほどにひたいに生ぬるい風が当たる。

季節が少し変わる。

2016-08-07

夜、賑やかな音楽が聞こえた。光は水面を揺れていた。

ほんとうに美しいと思ったのなら言葉を重ねる必要なんてどこにもないのだと言った。同じ景色を見ているのだから、表情でも、声音でも、この瞬間が好きなことを理解してもらえる、その感情に嘘はないのだと。

 

だから、すごいでいいんですよ、こういうときは。

2016-08-04

何度もよみがえる光景がある。

それを思い出すたびに何度だって泣きたいような、悔しいような、やり遂げたような、つまりは、青春の後味みたいな、下から風が吹き上げるような、春の終わりの季節のような、落ち着かない気持ちになる。

多分それは解消されることは一生なくて、一生この気持ちはわたしから剥がれることはないのだと思う。忘れては、いけないのだとも。自分が何か変わろう、変えようとするときの地面となるのがその一瞬だからだ。

一通のメールを下書きに仕舞い込んだまま、出すことを躊躇っている。

これを出すことが前に進むことを意味するのか、煩わしい現実を加速させるだけなのか判断がついていないからだ。

たいてい、こういう場合踏み出したほうがいい結果が得られる。そのことは知っている。知っているから、おそらく近いうちにわたしはこのメールを出すのだろうと、そう思う。多分、明日は電車を途中下車するのだ。

 

2016-08-02

蝉時雨にさす傘だと言って、店主が件の傘を私に押し付けてきた。見た目は普通の青い日傘で、持ってみるとそれは私が普段使っている傘よりいかばかりか軽いような気がした。

「蝉時雨には傘をさしませんよ」と笑うと、まあそれもそうだな、とあっさりと店主はわたしから傘を取り上げた。

思ったよりもずっと素直に手を引っ込めたものだから、思ってもいないのに「あ、まって」と口から声が出ていた。「なんだい」と店主は意地悪そうに口の端をあげて気になるんじゃないか、と再び差し出してきた。

広げてみてもいいですか、と聞くとああ、とぞんざいに頷いた。

広げてもやはりただの日傘にしか見えなかった。しかし、グラデーションになっていて、傘の芯の部分は薄い青色、端になるにつれて濃い青になっていた。蝉時雨に差す傘だとは思えなかったが、それをのぞいてもいい傘だと思った。

 

いくらですか、と言うと、店主は普通の日傘の値段を答えた。

帰り際、「これ、普通の日傘ですよね」と意地悪く私が言うと、はて、ととぼけて返事をしなかった。