2018-4-17

 

小学生と、中学生の時、私は不登校になりたかった。その手段があることは知っていたけれど、その勇気はなかった。選択肢のなかにそれを入れることができなかったし、それを提案してくれる人もいなかった。自分もまた、自分が置かれた状況を人に伝えることをしなかった。

 

その時の自分は、あるいは今の自分も変わらず、ヒーローに憧れていた。誰かのことを華麗に、時に泥臭く救って、笑って他者に手を差し伸ばす。そのような者に私はなりたかった。いまでも、なりたい。

ヒーローはきっと、不登校にならない。不登校のヒーローの物語を私は知らなかった。ヒーローはいつでも人気者で、強くて、他者から汚い言葉を浴びせかけられない、殴られもしない。

私は、ヒーローになりたかった。今も。

 

そう思っていたけれど、たぶん、この欲求はもっと低次のものであるかもしれないと思い至る。ヒーローである前に、私は、存在を許されたかった。

あなたはそこにいていいのだと、学校に通い続けたら、いつかどこかのタイミングで許されるのだとそう思い続けて、目を伏せて学校に通っていた。ついぞその瞬間は訪れなかったけれど。

 

なぜ文章を書きたいのかということをずっと考えている。そして根源はここにある。過去の自分の肯定と、過去の自分から見た、未来を生きる人たちの肯定。

あなたは存在していていい、あなたを見つけてくれるものたちはやがて訪れる。