2019-12-07

忘れてもいいか、とそう思って過ごした1年。結局、忘れられずに時間だけが過ぎ去った。
諦めるでもなく、先に進めるでもなく、なにを決めるでもなく、停滞だけしてしまったような、指にトゲが刺さったままそれを気にしないふりをして暮らすような居心地の悪さを感じながら過ごしていた。

本当は、書きたいことなんんて何もないのかもしれない。一個人の枠を超えて伝えたいことなんて、私の中にはなにもないのかもしれない。書くことができる内容はもちろんあるのだけれど、それは誰のための言葉でもない。そんな言葉をただつらつらと書いて、誰かが勝手にそれに意味を見つけて、勝手に共感をするあるいは勝手に苦しむ、あるいはもしかしたら救われる。

確信をもって言葉にできることが、日を経るごとに、歳を経るごとに、少なくなっていく。
あるのは、自分にとって確からしいと、今この瞬間に思えることだけだ。こんなにも限定的な言葉でなにかを書くのが恐ろしい。

けれども、書くことをやめることもまた、恐ろしいことだと知っている。あるいは楽になるのかもしれないけれど、楽になることをいまは恐れている。楽になってしまったら、私の言葉が生き残らないから。そうしていつか根絶やしになってしまうから。

意味がないかもしれないことは、理解している(意味があることが何かわからない)。誰一人にだって届かないかもしれないことは、理解している(届かなくったって勝手に大丈夫になる)。確かなことが、いま自分の中に何一つないことは、理解している(そんなものがあったら背を丸めない)。

意味がなくても、届かなくても、確かでなくても、大丈夫。
それでも、書かないことの方がもっと怖いから。