2018-09-03

お元気でしょうか、と文字を並べてみる。
この言葉は、届くのかもしれないし届かないのかもしれない。届けようと思えば、住所だって知っているし、メールなんかを送ってもそれはやっぱり届くのだろうと思うのです。

お元気でしょうか、だんだん夏が好きなようになってきた、と言っていたけれど、今年の夏も変わらず好きでいられたでしょうか。とても暑くてまいってしまうような日々で、身体の弱いあなたが倒れていないといいのですけれど。

お元気でしょうか、と書くこの言葉はその意味以上にずっと深く届けばいいと、無責任に思っています。

 

夏は永くて、秋はゆっくりで、この秋がどうか秋らしいものであればいいと願っています。そうすればきっと、あなたは元気でいられるのだから。

 

葬送のように、言葉を書くことが増えたように思う。

それならば、送っているのは何なのだろうかと考えるけれど、その実、何も送っていないのかもしれない。なにも失っていないのかもしれない。

失ったふりをすることで楽になろうとしているのかもしれない。

もし、そうなのだとすれば、私は楽になってはいけない。苦しんで苦しんで、救済なんて求めずに苦しむために苦しむことが必要なのだ。