2017-10-11(言葉による存在許容)

タイに行った。タイに行くにあたって「なんでタイ?」と10,000回は聞かれて10,000回は「なんとなく」って答えた。気の利いたこととは言えない。何となくというのは本当で、ほんとうになんとなくなのだ。ずっと昔に私の家族が住んでいたことがあるとか、そういうことは関係ない。だって開発めまぐるしいバンコクは、あの頃と同じなわけがない。だから、理由はなくて理由はないけれども、それでも行った。

 

バンコクは不思議な街だ。廃墟の横に最新の商業施設があったりする。空気は体感では東京よりもずっと汚くて、息を吸い込むたびにコンクリートの臭いがする。そこに屋台や路上のお店のスパイスの香りがしたりするから、脳が混乱する。たぶん、覚えている限りそれらを一緒に嗅いだことがなかった。

気温も湿度も高くて35度近かったと思う。湿度も90%とかそんなものな気がする。夜も朝も関係なく突然に強い雨が降ったりする。何度かそれで起きた。窓の外が何度も光って何度も雷が落ちた。滝のように水が窓を流れた。触るとガラスだけは少し冷たかった。

バイクタクシーでヘルメットも被らずに夜の街を走った。数ミリのところで車を通り抜けた。額で受ける風はやけに乾燥していて、楽しかったから、だから笑った。ちゃんと面白くて笑った。異国でバイクに乗って走ってる自分というのが遠すぎて、こういうこともあるんだな、と驚いていた。ここは日本ではないから。誰も私のことを知らない。

 

スプライトが甘かった。この国の食べ物は(日本人にとって)異様に辛いか甘いかしょっぱいかで、それはまあ、まさにその通りだった。違いをひとつひとつ見つけては、笑った。誰に向けることもなく、遠くに来ているというそれだけで笑った。誰も私を見つけはしない。

 

ここで生きた人たちは何を思うのだろうか。想像してみたけれど、想像できなかった。何が楽しくて何が楽しくないか聞きたかったけれど、タイ語はあいさつとお礼しかできなくて聞けない。祖母はもう少しできるのだろうか。

刹那的に生きている、と言ったら、どうだろう、それは違うと言われるのか、そうだと言われるのか、どっちもあるように思う。路上で20バーツや30バーツの食べ物を分けている彼らは、デパートで仕事を(適切に)サボる彼女らは、でもとても動物めいていて、それは私達の正しいひとつの在り方だった。