2017-8-8

トリエステ、という響きが特別なものになったのは5年ほど前だっただろうか。教育実習に向かう、開けた野の中を走る電車の先頭車両、その運転席に一番近い場所に立って須賀敦子の『トリエステの坂道』を読んでいた。

その頃、私は日本に帰国したばかりで、日本語に飢えていた。とにかく美しく優しく芳醇な日本語で書かれた本を読みたいと思って手に取ったのが須賀敦子の本だった。イタリアにも行ったばかりで、彼女が書く世界は写真で見るよりもよく想像できた。

―サバが愛したトリエステ。重なりあい、うねってつづく旧市街の黒いスレート屋根の上に、淡い色の空がひろがり、その向うにアドリア海があった。そして、それらすべてをせに、大きな白い花束のようなカモメの群れが、まるく輪をえがきながら宙に舞っている。しわがれた騒々しい啼き声は彼らだった。ボーイが手にもったぱんをちぎっては、踊るような身振りでそれを空に向けて投げる。そのたびに、鳥たちは輪舞の輪をはなれ、嘴でさっとパンをうけとめては、ふたたび輪をえがく群れに帰って行く。サバがいたら。私は大声で彼の名を呼びたかった。

(『トリエステの坂道』須賀敦子

 以来、なにか立ち返りたくなると須賀敦子の本に自然と手が伸びるようになった。例えば、喫茶店で、眠れないベッドの上で、大学の研究室で、広い公園の片隅で。

トリエステを訪れたことはない。サバの詩は好きだけれども、その程度と言ってしまえるほどの、あまりにも一方的な縁だ。それでも、いつか私はこの土地を訪れるのだろうと確信している。

自分によく似合った靴をはいて、どこまでもいけるのだという底なしの自信とともに、いつかの自分を笑いに行くのだ。トリエステの坂の上で、そうして、大きく手を降ってみる。