盲目の一団が、天井を仰いで

盲目の一団が、天井を仰いで、案内役の声に耳を傾ける。果物があしらわれた照明が視線の先にある。彼らが視るとはどういうことなのだろう、とぼんやりと外に目をやりながら、私は聞くともなくその説明を聞く。一つひとつ、丁寧に案内役が目に見えるものを挙げていく。盲導犬は気だるげに床に寝そべる。

案内役の声にまじり亡霊の声が、絶え間なく聞こえてくる。

「いきなり声をかけられたような気がしちゃう」と一人が言う。

「そういう展示なんですよ」と案内役が答える。

表情が、視えるんです。この少女は伏し目がちに、この男性は苦悶の表情を浮かべて、淑女は、猜疑心に溢れた目を、

 

「あなたは私に触れたから」

 

どこからか――上の方から――聞こえてきた声にふと我に返る。

「そんな感じがしませんか」と案内役は聴衆に問う、彼らは思い思いに頷く。この部屋はどういう空間なんですか、一人が聞く。ここは食堂で、とてもきらびやかな空間です。窓は半円形の空間に沿うようにはめ込まれ、部屋の真ん中にはテーブルが、窓の反対側には暖炉があります。

 

心臓音は、内製される音律だ。外部から規定されるものではない。だから内の音より外の音が大きい時、そのリズムが狂ってしまうような感覚にとらわれる。実際とらわれるのだろう。外圧による身体感覚の調節。それも長くは続かない、しばらくその空間にいればまた内のリズムと外のリズムは違うというこということに勝手に身体が気づく。その瞬間にまた私の身体は私に帰ってくる。瞬間的な自分からの異化。

 

盲目の一団はスクリーンの前で映し出された光を「視ている」。言葉を通して、あちらとこちらの境界のような、遠い海辺の風景を。

時代はいつ、どのような経緯でこの風景が構築されるに至ったのか(人為的?自然に?)、ひとつひとつ、想像で読み解く。

 

盲目の人が見る夢のことを思う。彼らの夢に色はあるのだろうか。