大丈夫、カミサマなんてどこにだっていないのだから

できれば何も見たくないのだけれど、いざそうしてみるとどこか寂しさを感じてしまったので、古いラジオのスイッチを入れる。

ザー……ザー……という雨音と言うには少しばかり無秩序なノイズの間から静かに遠く、男性の声が聞こえてくる。

日本語なのか、異国の言語なのかも判別できないほどだけれど、いまこの薄暗い部屋にはよく似合っているように感じた。

ノイズをバックミュージックに濃い目のコーヒーを淹れる。立ち昇る香りが部屋の闇の中へと溶けていく。その香りを肌で感じながら、灯台が折れた夢を見たのだった、と思い出す。

「俺は船の上に立っていた」

「あなたはすぐに酔ってしまいそうね」

「夢だから」「そう、夢だものね」「夢だよ、だから酔っていなかった。それよりもっと恐ろしいことが身に降りかかった」

もう少しで、灯台のある陸に辿り着きそうだった。確かに、空は曇っていて、灯台の灯りは雲に拡散されて薄く遠くまで届いていた。照らされる雲が、反射する光が、綺麗で、だから俺は船上からずっと空ばかり見上げていた。

「けれど、それは来たのね」

後ろから。音は、なかった。不意に影が変わったんだ。あるいは、空に飛沫を見たのかも知れなかった。振り向いてみれば巨大な波が俺に、というより船に覆いかぶさるように降ってきていた。その一撃だけだったらよかった。夢だから。船は耐えてくれた。

そのあと急に視点が変わったんだ。船上の自分からは決して見えることのない視点へ。

灰色の灯台の、その根元の部分。ヒビが入ったんだ。そのあとはもう止まらなかった。なんの衝撃も必要もなく、亀裂は走り続けた。折れるまでに一秒もかからなかった。あー、これは逃げないとなーなんて悠長に考えている余裕はあった。押しつぶされてしぬんだったらまあ、それだってよかった。灯台が折れた時点で俺はその世界にいる必要性がもうまったくなかったんだよ。

だって、俺は、そこを、目指していた。

 

冷たい指が頬に触っていた。涙が、此方から彼方へと伝っていく。

「大丈夫、カミサマなんてどこにだっていないのだから。何ごとも流されることはない。大事なことは全部、ぜーんぶ、貴方の手の内にある。だってほら、あなたの珈琲の香りも味もなにも変わってはいない。夢は、なにも表象しない。」

揺れる視界のなか、君の手に移った一雫を見つめていた。冷たくないのかな。顔をあげることはできなかった。こんな歳になって夢に泣かされるなんて思わなかった。違う、たぶんなんであれ泣くきっかけが欲しかっただけだ。

しばらく、声もあげずに、そのかわり顔もあげれずに、泣いた。そのあいだ、君はただ大丈夫、大丈夫、と繰り返していた。