2015-09-06

あたしはときおり、一匹の猫のことを考える。だけどいまでは彼女のいる場所はわからないし、今遠くで暮らす人達の家では必要とされていなかったのかもしれない。

そこには数年前から新しい猫がやってきているし、そこに住む人は減っている。

ゆめを、みた。一匹の猫のゆめ。十四年、家猫として、数日、野良猫として暮らした猫のゆめ。あたしは責任を放棄したから、自分の生活を守るだけで精一杯で、ずっと一緒だったあの子を守れる場所にいなかった。

「外で飼うことにしたから」と電話で、何事かのついでのように告げられ、でも何も言えなかった。あたしは遠くにいたし、家の状況が芳しくないこともわかっていた。わずかでも負担を減らすことをあの人たちが考えるとしたらそこしかなかった。だからその事実は受け入れるしかない。その責任もあたしにあったのだと。

感情は、けれどそこからは切り離される。自己満足のための、偽善のための別れさえ言えず、あまつさえ、ゆめ、なんて見て、お別れに来てくれた、その考えは自分にとってあまりにも都合が良すぎてその考えが浮かんだ直後には吐き気がした。

それでも、どうか、と願わずにはいられない。どうか、雨に打たれて寒い思いをしていませんように。どうか、少し空気の乾燥したよく晴れた風の涼しい日に柔らかい地面の上に君の姿がありますように。

ねえ、君と。

君と。