2015-08-15

過去のことばかり。

自分のカメラは大学に入学して1年ほど経ったあとにアルバイトをしたお金を使ってドキドキしながら買った。何枚もの1万円札を渡すような買い物をしたのはそれが2回目だった。

本当は、買う必要なんてなかった。高校を卒業するときに父が持っていた一眼のフィルムカメラを譲ってもらうはずだった。カメラじゃなくてもよかった。家から離れる時に、親の持ち物をもらうということに漠然とした憧れがあった。その頃に読んでいた小説の影響かもしれない。バイクやギターが趣味だった父と、私の趣味は遠く離れていたけれどカメラだけはこれから共通の趣味になるかもしれないと思った。それくらいの理由だった。

それを譲って欲しいと父にお願いするときも、やっぱりどきどきした。できるだけ何気ないふうを装って、ふらりとリビングに入って、意味もなく冷蔵庫を開けて、閉めて、そうして部屋を出て行く時に初めて一眼の存在に気がついたように声をかける。

「そういえばさあ――」

感情の見えない声で父はしかし、それを私にくれることを約束した。

ただし、と条件をつけて。

「家族で写真を撮ること」

なにそれ、とその声は自然を装うまでもなく口をついていた。その声は少し、笑っていたと思う。いいよ。撮ろう。少し恥ずかしいけれど、でもあなたはきっと家族を大切に思っている。そのことさえこれまでわからなかったけれど、写真を残したいと思ってくれているんだね。

 

使われる機会もなく、部屋の片隅に眠っているだけのカメラに申し訳なくなった。例えば旅行に行こうと、一言声をあげればもう少し出番があったかもしれない。母に「あんな無駄に高いものを」なんて言われなくてすんだかも知れない。雪が溶ける頃には遣ってあげるから。

 

それから、遠くの大学へ合格が決まり、引っ越しの準備も終盤に差し掛かった頃。

「そろそろカメラを譲ってもらってもいい?」とリビングで寝転んでいた父に聞いた。

「……撮るか」と言葉少なに立ち上がる。何をするかと思ったら着替え始めて笑ってしまった。やっぱりこの人はこの写真をイニシエーションのように捉えている。そしてその考えを嫌いになれなかった。

母にも声をかける。写真を撮るよ。ええ準備できてない、なんて言いながらぱたぱたと準備をする。

玄関先に集まって、正面に三脚を立てて、カメラをセットする。

シャッターを切るときの合図はなんと言っていただろう。思い出せない。たぶんみんなすました顔をしていた。その場に、祖母や曾祖母はいただろうか。思い出せない。

それもこれも、カメラが私たちの像を結ばなかったことが原因だ。ずっと使われていなかったカメラはすっかり黴びてしまっていて、その機能を殺されていた。

撮影会はそのまま有耶無耶に終わり、カメラを譲ってもらう話もたち消えとなった。父はとてもバツが悪そうな顔をしていた。私もどう言っていいかわからないまま「しょうがないね」とか言っていたと思う。事実しょうがなかった。

光を、影を。写さないカメラは意味もなく、ひとつでも荷物を減らしたい引っ越しでは余計なものでしかなかった。

以降、一度も家族で集まることはなかった。一枚の写真もない。何年かして「家族」の定義の違いから父と母は別れ、そのどちらにも私はつかなかった。

 

大学に入ってカメラを買っても、そういえば家族の写真は撮っていない。