2015-06-08

先週の金曜日、記憶にもないほど昔に会ったはずの親戚と20数年を数えて再会した。そんな状況だから再会と言う言葉を使うのは適切ではないかもしれないけれど、それでも確かに再開なのだ。少なくとも、彼女にとってはその言葉が正しい。

この歳になって顔も覚えていない親類がいるのだとは、やっぱり随分身勝手な血族なのだと思うと可笑しい。

昔話をした、今のことを話して、これから先のことを少しだけ話した。それ以外にはなにもなかった。それだけで充分な時間だった。会話の断片ばかりが頭に浮かび、今となってはその全体は霧散している。「忘れて」と言われた呪いなのかもしれない。

でもひとつ、自分はやはり底意地が悪いことを自覚せざるを得ない言葉を、意地が悪いと自覚していて、それでも聞くことをやめることができなかった言葉があったことは覚えておかなければならない。