2014-01-23 21:04

「十七年近く、生きてきた。物語にはいっぱいあった。世界が崩壊してしまう話。世界が崩壊した後の話。だけどどうして物語って世界が一気に壊れてしまうのかな。今日の後の明日って突然に壊れてしまうのかな。現実にはそんなことはない。現実はもっとひどい。世界は少しずつ、少しずつ壊れていくのに。みんなが一生懸命生きて、支えているのに一ミリ一ミリ数えるみたいに落ちていくのに。きっとみんな怖いのよ。怖過ぎて物語にできないのよ。世界が完全に壊れきるまで一つ一つ何かを失って、それでも生き続けなければならないなんて。やりきれない。どうして神様ってこんな世界にしてしまったんだろう。こんなになるまで放っておいたんだろう」 (町井登志夫『今池電波聖ゴミマリア』角川春樹事務所 2001.12)

 

どんなに一所懸命に生きていても、私の世界はまいにち、まいにち、誰もが見過ごしてしまうほどに少しずつ、今日と明日の違いがわからないほどに少しずつ、削り取られてゆく。 私の世界では、誰もが懸命で、涙を流すほどに頑張っている人がたくさん、ほんとうにたくさん、いるのだけれど。 無慈悲に、残酷に失っていく。 誰もが怖過ぎて物語にできなかった世界を生きている。 それでもこの物語には、泣いた時に、呼ぶことができる人たちがいる。 それでもこの物語には、その身を涙で濡らして、血を流してでも、呼ぶ声に応える人たちがいる。 放っておかれた世界で、それでも強くあろうとする人がいる。 怖いね。こわいね。 一つ、一つ、失うなかで、最後まで握り締めるものはなんだろうか。 怖くても離さずにおけるものはなんだろうか。 それだけを、忘れずにいられたら。