2017-12-7

バースデーイブ。

夜を超える前に、朝を迎える前にとこの日はいつも日記をつけようとしている。

世界と繋がりたくて、それを自分の力でなんとかしてみたくて、もがいて、もがくだけで終わった年だったように思う。自分がいる場所だけが変わって、弱さや至らなさや醜さに憂鬱になって、眠って明日を迎えることが怖かった日々がたぶん半分くらい。

星を見上げようと思ってもここでは何を見ていいかわからないから、夜に外に出ることが減った。

川沿いにきたからもう少し外に出るかと思ったら、そんなこともなかった。夜は、空しか見たくなかった。

過去に自分についた嘘を今もまだ突き通せるのかわからない。秒ごとに弱くなっていくような感覚になる。

そろそろ、やめなければいけないと思う。見ず知らずの人の言葉に翻弄されること、強いふりをして生きること、つまりは、このまま生きること。

祈る以上のことはできるはずで、その間を惜しんで手を、足を、頭をもっと動かすことでほんの少しでも前に。

2017-11-15

へえ、本を読むのがすきなんですね、ビジネス書とか?なんて聞かれて私は曖昧に笑う。あんまり読まないです、読めないんですと、言ったような気もする。

ここはそういう場所なのだということを思い知ったというか、知っていたことを目の前に突きつけられたような気がした。それは薄く細く鋭く、コンパスの針で手の甲を穿たれたような痛みだった。

反動のように毒にしかならないような本を帰り道に買い漁る。そんな思いで買ってもそこには空虚な思いしかないのに、それを知っているのに。

 

最近は寝ているときでさえ自我を手放すことができず、だからおおよそ24時間自分と一緒にいる。諦めてしまいたいのに、それでも私は私を手放すことができなくて、受け入れられない恐怖に怯えながら生きるしかない。

ひりついた恐ろしさと、一種の前向きな諦観によって今日もまた私は生かされる。

 

いつか、そして、『世界は蜜でみたされる

2017-10-11(言葉による存在許容)

タイに行った。タイに行くにあたって「なんでタイ?」と10,000回は聞かれて10,000回は「なんとなく」って答えた。気の利いたこととは言えない。何となくというのは本当で、ほんとうになんとなくなのだ。ずっと昔に私の家族が住んでいたことがあるとか、そういうことは関係ない。だって開発めまぐるしいバンコクは、あの頃と同じなわけがない。だから、理由はなくて理由はないけれども、それでも行った。

 

バンコクは不思議な街だ。廃墟の横に最新の商業施設があったりする。空気は体感では東京よりもずっと汚くて、息を吸い込むたびにコンクリートの臭いがする。そこに屋台や路上のお店のスパイスの香りがしたりするから、脳が混乱する。たぶん、覚えている限りそれらを一緒に嗅いだことがなかった。

気温も湿度も高くて35度近かったと思う。湿度も90%とかそんなものな気がする。夜も朝も関係なく突然に強い雨が降ったりする。何度かそれで起きた。窓の外が何度も光って何度も雷が落ちた。滝のように水が窓を流れた。触るとガラスだけは少し冷たかった。

バイクタクシーでヘルメットも被らずに夜の街を走った。数ミリのところで車を通り抜けた。額で受ける風はやけに乾燥していて、楽しかったから、だから笑った。ちゃんと面白くて笑った。異国でバイクに乗って走ってる自分というのが遠すぎて、こういうこともあるんだな、と驚いていた。ここは日本ではないから。誰も私のことを知らない。

 

スプライトが甘かった。この国の食べ物は(日本人にとって)異様に辛いか甘いかしょっぱいかで、それはまあ、まさにその通りだった。違いをひとつひとつ見つけては、笑った。誰に向けることもなく、遠くに来ているというそれだけで笑った。誰も私を見つけはしない。

 

ここで生きた人たちは何を思うのだろうか。想像してみたけれど、想像できなかった。何が楽しくて何が楽しくないか聞きたかったけれど、タイ語はあいさつとお礼しかできなくて聞けない。祖母はもう少しできるのだろうか。

刹那的に生きている、と言ったら、どうだろう、それは違うと言われるのか、そうだと言われるのか、どっちもあるように思う。路上で20バーツや30バーツの食べ物を分けている彼らは、デパートで仕事を(適切に)サボる彼女らは、でもとても動物めいていて、それは私達の正しいひとつの在り方だった。

2017-8-31

夕暮れ時、空はまだ赤くなくて、白に近いような青だった。涼しい風が吹いていて、建物と建物の間、銭湯の煙突の先には月がでていた。半分と少しの月。
夏の終わりの歌をくちずさみながら、歩いてみる。手は空気を指揮するようにゆれる。楽しい方はあっちかな、とよく風が抜ける方向に向かって進んでみる。
遠くの町のことを思う、この夏にいくつか訪れた町のこと。インスタントカメラを持ってその枚数分だけ写真を撮ることを決めて町を歩いた。
蜘蛛の巣に雨粒が溜まって、触れれば柔らかい糸のように雨が降り出しそうだった。
星を数えた。いくつかの星が流れたらしかった。山の端に消えていったのが見えた。
森の中の喫茶店に入って、雨音を眺めていた。どこにだって、いきたくなかった。どこにだって、いきたかった。
現像した写真は思いのほか暗くて、笑ってしまう。デジタルカメラのつもりで撮っていると光量が足りないことをようやく思い出した。27枚撮りのはずなのに、25枚しか手元に戻らなかった。
夢に揺れていた夏の残光のようなその写真たちは、淡く薄暗いなかで、それでもたしかに生きていたことを証明していた。

 

旅に出ようと、遠くの自分が誘う。そうだね、と今の自分が頷く。どこに向かうかわからない、風が背を押す。何度か振り返りながら、そちらへ進み出す。

2017-8-16

とぎれ、とぎれの、記憶を思い出したいのに、夏の風がひとつ、吹くたびにわすれていってしまうよな、そんな不安にかられる。
朝も、夕も、季節も関係なくすすむ時間の中で、覚えている記憶の断片だけをなぞりながら夜を過ごす。指を一つひとつ折りながら、あれは、これは、と闇の中に甘やかなひかりを灯すように浮かべていく。
べつに、わたしは、なににもなりたくなかった。何かになりたい記憶なんてなかった。一番強く何かになりたいと願ったのは小学3年生の頃で、先生を救いたかった。通信簿と一緒に手作りの焼き菓子を渡してくれるその先生がすきだった。彼女は、小指がなかった。小指のない手で、お菓子をつくっていた。
それから先は、善く生きたいとおもった。善く生きるとはどういうことなのかよくわからなかった。だからほぼ直感で善いと思えるほうを選んできた。結果的に善かったことも悪かったこともあった。
何にもなりたくなかった、なににも。
ポケットには片道切符がいつでも入っている。これを使えばたぶん、海の見える街までいける。時間にして16時間後くらいに。遠い海岸を眺めながら、観覧車から見下ろした風景のことを思う。観覧車のいちばん高いところから飛び降りたら、深く海に潜れるのだろうか。テールランプが線を引きながら車が次々と海へと向かう、波になる。
生きやすくしたいです。どうか、どうか。
そのために、わたしがたまたま生まれてしまった世界に対してできること。それは、できるだけ親切に優しく世界を解釈して伝えることしかできそうにないと思っています。今は。明日には変わるかもしれません。変わっていればいいと思います。
雨が降ってきました、ならべたひかりは消えません。そのかわり影が、ちろちろと揺れます。
おやすみなさい、これを読んでくれたあなたが、どうか優しい夢をみられますように。

2017-8-9

上京してよかったなあ、と思ったことがひとつあって

 

新宿でレイトショーを見て、そうしたらもう終電とかも終わっちゃっていて

 

だから映画を見たふわふわした頭で、ゆっくり30分くらいかけて家まで歩くんです。

 

それが楽しい。もう本当に、最高に。

2017-8-8

トリエステ、という響きが特別なものになったのは5年ほど前だっただろうか。教育実習に向かう、開けた野の中を走る電車の先頭車両、その運転席に一番近い場所に立って須賀敦子の『トリエステの坂道』を読んでいた。

その頃、私は日本に帰国したばかりで、日本語に飢えていた。とにかく美しく優しく芳醇な日本語で書かれた本を読みたいと思って手に取ったのが須賀敦子の本だった。イタリアにも行ったばかりで、彼女が書く世界は写真で見るよりもよく想像できた。

―サバが愛したトリエステ。重なりあい、うねってつづく旧市街の黒いスレート屋根の上に、淡い色の空がひろがり、その向うにアドリア海があった。そして、それらすべてをせに、大きな白い花束のようなカモメの群れが、まるく輪をえがきながら宙に舞っている。しわがれた騒々しい啼き声は彼らだった。ボーイが手にもったぱんをちぎっては、踊るような身振りでそれを空に向けて投げる。そのたびに、鳥たちは輪舞の輪をはなれ、嘴でさっとパンをうけとめては、ふたたび輪をえがく群れに帰って行く。サバがいたら。私は大声で彼の名を呼びたかった。

(『トリエステの坂道』須賀敦子

 以来、なにか立ち返りたくなると須賀敦子の本に自然と手が伸びるようになった。例えば、喫茶店で、眠れないベッドの上で、大学の研究室で、広い公園の片隅で。

トリエステを訪れたことはない。サバの詩は好きだけれども、その程度と言ってしまえるほどの、あまりにも一方的な縁だ。それでも、いつか私はこの土地を訪れるのだろうと確信している。

自分によく似合った靴をはいて、どこまでもいけるのだという底なしの自信とともに、いつかの自分を笑いに行くのだ。トリエステの坂の上で、そうして、大きく手を降ってみる。