2017-7-27(人間の(あなたの)ことだけを考えていたい)

生きることの才能がほとほと欠如していて、道もうまく歩けなければ、空気を読みすぎては頬の筋肉を痙攣させて、手は震え、そうして夜一人になっては自己嫌悪が募るばかりだ。

 

「何お話でしょう?」彼女は尋ねた。
「運命について」
彼女は眉間に小さなしわを寄せた。
「運命って、まだよくわからない」
―『ガブリエル・アンジェリコの恋』(クリスティン・ヴァラ)

 

運命は、言葉遊び。「運命」なんて言葉を作り出してしまったから、想像してしまったから、存在するような気になってしまう。「永遠」もそう。「恋」も。「価値」も。そこに言葉があってはじめて存在が許される隙が生じる。

その言葉がなかったら、はじめからそんなものはなかったのに。誰一人語れるものなど持たなかったのに。

運命って、だからよくわからない。でもそうして考えるとあらゆるものはこの世からなくなってしまうのではないかと思う。形あるものさえその形を失ってしまう。

言葉を失った世界は、徐々に崩壊を始める。だから、だからね、私は、言葉がどんなに怖くてもつかめなくても、それでも自分をあなたを、あなたたちを私の現実につなぎとめるために呼びかけ続ける。

どうか、明日もすこやかに。

2017-7-13

何になりたいのか、とそう問われて、いくつかの考えが頭の中に浮かんだ。その考えを全部つかまえて、大きな2つの袋に分けたとしたら、わたしはまだ何かになれるのだということと、つくるひとでありたいということの2つにわけられるのだろうと思う。

でもその場でそれはなにも話せなかった。話すことが怖かったのだと思う。2階にあるカフェ風のカレー屋で、炎天下の中人が歩いている姿を眺めながら、曖昧な答えしか返せなかった。カレーの味はもう、忘れた。

曖昧な答えしか持っていなかったのは、それを今、正面から口に出して言えるほどのことをしていないから。いまそれを言ってしまうのは嘘になってしまうような気がして、いつまでたっても中学生のような返事しかできない。

2017-7-6

花火が上がる、ゆめをみた、ような気がする。

それは電車のなかでみた広告だったかもしれない。記憶は曖昧で不確かだ。遠く、音が聞こえる。花が咲いて、遅れて音が届く。

一番に思い出される花火は、横浜にいた時にみた花火で、それはなんでもない団地の隙間から、日常の延長として眺めた花火だ。どうしてそればかり思い出すのかわからない。小高い丘のような場所で近隣の住民が集まって、黒い影となって横に並んでいた。それを私はその黒い列の一団であったはずなのに、後ろからそれを見ている。花火は、目線の高さに上がる。

だれも、なにも話さない。いつしか花火は終わって、家に帰ってテレビを付けて、それなのに内容は頭に入ってこない。確か野球がついていたと思う。

ぜんぜん、何を話していたか覚えていない、ただ音もなく花火だけが上がっている。20年近く遅れて、ようやくここまで、音が届いた。

2017-7-3

本当のことはいらないという。本当のことは大抵都合が悪く、誰かの気分を害することになるから、そんなものを表沙汰にするよりかは、本当のことの一部を切り取って貼り付けて、都合のいいことを述べろ、と。

それは、ある意味正しくて、社会のマイナス面を見ることは建設的ではないし得策ではない、そうかもしれない。そうかもしれないけれど、いつだって「イエス」と言えずにはぐらかしてしまう。

嘘つきは、私なのに、いまさら正直者を装って、それさえ嘘ではないの

2017-6-15

「あなたはなにかになりたかったのね」
そう言われたのは夢の中だったか、それとも現実だったのか、もう覚えていない。
どちらでもよかった。夢の中でも、現実の中でも。夢も現実もそこでの実態は曖昧だ。

どこであっても、私は何かではない。

川沿いを歩いた。対岸の灯りを映して揺れていた。最近、夜光虫が話題になっていたけれどきっと、今日のひかりかたも揺れ方もそんな感じだ。空は明るくて、低い雲が追いつけないほどの速さで流れていた。遠くの高層マンションを飲み込んでしまうんじゃないかと思ったけれど、だいじょうぶだった。

雲の切れ間から星がひとつだけ見えた。本当はもっと見えていたのかもしれなかったけれど私の目にはそれしか映らなかった。最初は飛行機かと思った。明るい空の中にあってあんまりにも明るくて、移動しているように見えたから。

けれども動いていたのは雲だけで、明るいのはその星がその星であったからだった。

私は、なにになりたかったのだろうか。なにに、なりたいのだろうか。

目を閉じれば声がする。

「あなたはなにかになりたかったのね」

2017/4/17

いくつかの意味のあった日付は、それは昔のことで、今となってはその意味を失って日常の中の過ぎていくひとつのいちにちに変わっていく。

そのことを淋しいとは思わないし、ある意味正常なことなのだろうと思う。そうして長い時間をかけて葬送されたそれは、今日みたいな春嵐の雨に紛れてたまに香ってくるくらいで、それでいい。

雨が降ってきた。部屋には雨音と、それと音楽。キーボードを打つ音。かの地では多分まだ桜は咲かない。

 

大人になるなんて。なるなんて。助けてくださいと誰とにもなくくちびるを動かす。誰も助けてはくれない、大人なのだから。

 

「大人なのだから、自分の道は自分でつけなさい」

「あなた自身の幸福はあなた自身で見つけなさい」

「あなたは大人なのだから、大人は楽しいということをその身をもって示しなさい」

 

あなた自身が定義した大人に、あなた自身が成りなさい。

2017-02-01

防犯シャッターなんて閉めたくなくて、夜はできるだけずっと外を見ていたい。

じっと、何も動くものはなくて、ただ虚空の一点だけを見つめている時間が好きで、数年前まではよくやっていた。京都にいるときにその時間を失って、そうしていまもそのままだ。

深呼吸。

夜を吸い込む。照らされた空気が身体に入ってくる。ひかりの線を飲み込む。

がんばらなくちゃ、とぼんやりとした頭で考える。

何のために?その答えは明確にあって、数年前の私はすでにそれを知っている。

誰にもきっと教えることはないけれど。

 

いつの日かこの日々を振り返ったその時に、懸命に生きた日々であるように、何一つ諦めず、強欲であったと誇れるように。