2016-11-26

TOPミュージアムへ、東京・TOKYO展を観に行く。

「東京のイメージは様々で、人によって違う」というのが冒頭の説明で、たしかに私のなかのイメージもとても曖昧なものだ。

東京タワーやスカイツリー、築地やスクランブル交差点、満員電車、電気街、銀座の百貨店。

私の一番最初の実態をもった記憶は、小学校に入学する前、岩手から神奈川に引っ越す新幹線の車内。あれが一番最初の東京だった。

2月で、ちょうど雪が降ったか、強風か、とにかく天候の不順によって新幹線が上野駅から出た瞬間に止まった。運悪く地下に入ったところで止まってしまったので、隣に座る母の機嫌は悪かった。家を出るときに「おとなしくしていたらゲームを買ってあげる」と言われていた私は静かに座っていた、と思う。実はあまり覚えていない。覚えているのは具合の悪くなるような空気と、薄暗い窓の外の風景だけだ。

最初がそんなのだから東京という街は薄暗くてジメジメしたものだと思っていた。神奈川にいた間も、東京には滅多に行くことはなかった。両親に連れて行かれることもなかったし、私もまた、行きたいとは言わなかった。当時見ていたテレビには東京の風景がたくさんあったはずなのに覚えていない。

その次にまた岩手に引っ越して、修学旅行で東京に来たときの記憶も曖昧だ。職場見学で出版社に行ったこと、仲良くない人と同室だったこと、そんなことしか覚えていない。覚えていたくないだけかもしれない。

次はしばらく飛んで、大学生の時。自由にいろいろな場所に行けるようになって、初めて1人で山手線に乗ってテレビで聞くような地名が本当に存在するということに静かに感動していたことを覚えている。あとは夜明けの冷たい空気。始発の、薄明るい街。友人の家。

書き出してもやっぱりまとまらない。そういう、特殊な土地なのだろうと思う。

私も、写真を撮ってみようか。東京だと思うたびにシャッターを切っていく。それらをつなげていけば共通点が見つかるだろうか。

それはなんだか、すごくおもしろそうだ。

2016-11-5

久々にFBを開いたら、数日前に従姉妹からメッセージが入っていた。

交流を持つのは10年ぶりだろうか。不思議と会ってみたいような気がして「今日会わない?」と誘っていた。私も、あの子も今は東京にいた。私は東京にいたことを隠していた(と言うよりあまり人に伝えていなかった)けれど、もういいかな、と思った。

今日は仕事がまだあるから、と19時過ぎに待ち合わせをした。私はなんだか落ち着かなくて早めに家を出た。16時の代々木公園は夕暮れで眩しかった。噴水の近くで少しだけ文章を書いた。木々は少しだけ、陽のあたる場所から色づきはじめていた。

風が冷たかった。

いつまで今日のこの瞬間のこの感情や、風景を覚えているのだろうと考えたけれど、すぐに忘れた。月が綺麗だった、遠くに見えた一番星はなんだっただろうか。空はまだ赤らんでいた。

 

待ち合わせ時間、駆けてくる靴音が聞こえた。10年ぶりにみたその顔は、記憶の中とそう変わっていなかった。FBで顔は確認していたけれど、それ以上にその子だった。

当たり障りのない話をして、それから家族にしかできない家族の話をした。そういうことができる相手が近くにいるのだということを、初めて知ったような気がした。「残すの嫌いだから」と注文しすぎた料理をそれでも食べるその子のことをすごくいいと思った。一つひとつ、店員さんの配膳にお礼を言う。礼儀正しいとも違う、なんだろう。物事を大切に扱える優しさのようなものが端々に感じられて、そういう子だったことをすっかり思い出した。それはもっと、洗練されたものになっていたけれど。

一つだけ、言わなかったことがあるけれど、それは私が背負うべきことだと話しながら改めて決めたから、それでいい。

10年前、夏にあった時に見た星空ほど美しいものをまだ知らないという言葉はなによりも胸に残っている。私もだ、って笑った。

2016-10-23

父から何年ぶりかに連絡があったのが一週間と少し前。それには一言だけの返信をした。

なんだかとても仲が悪いみたいだけれど、実際会ったところで多分喧嘩とか、罵倒の言葉を吐いたりだとかそういうことはしないと思う。できない、といった方が正しいのかもしれない。それだけの関係性がない。

父のことを考える時、いつも家族とはなんだろうと思う。

一般的にはただの血縁でしかないのに、それだけなのに、関わり続けなければいけない存在なのだろう。

父は父で、それを知らなかったのではないかと思っている。彼もまた父親の存在をほとんど知らなかったと聞いている。それすら父の口から聞いたわけではないけれど。母もまた父という存在を知らない。

誰も父親を知らない家庭のなかで育った私もまた父親という存在はよくわからない、いたけれど、それは父と呼べないうちにいなくなってしまった。

たぶん、また近いうちに連絡が来る。会いに行くかは、まだわからない。なにを話せばいいんだろう。話したいことは、言ってはいけないことばかりだ。それを言ってしまったらあの人はきっと苦しむ。苦しんだ結果よけいに自体がおかしくなってしまうことだってありえる。

行かない、ような気がしている。

2016-10-6

地球みたいな空、と夜道を歩きながら思った。意味がわからなくてひとりで笑った。言葉は脈絡もなく頭のなかに降ってきて(湧いてこない、降ってくる、流れ星じゃない、たぶん椿が落ちる感じ)、あとからその意味を考えたりする。

雲の作る斑が、まあるく見える空が、やっぱり地球みたいだった。

秋の風が心地よくて誰よりもゆっくりと歩いた。携帯を触りながら歩く人が私を次々と抜いていった。急がなくてもいいって、いいね。そう思えることが、いいね。

心地が良いからってさ、できるだけそこに長くいてちょっとだけスキップなんかもしちゃって、家々の壁には木々が揺れていた。風が吹いていた。

海が見たいと思った。遠くの、遠くの。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。

須賀敦子ユルスナールの靴』)

2016-09-28

先生、善く生きるとはどういうことですか?

先生。

私の目に、涙が浮かんだ。

善く生きるとは、

どういうことですか?

私はその文字を、見つめた。自分がここで座っていることが、怖くなった。こんなところで、今、なにをしているのか。

 

柴崎友香『ビリジアン』)

2016-09-27

「自分の人生が行き詰まってるからって、他人も世界も一緒にすんなよ。巻き添えにはならへんからな」

夕刊紙を読んでいたおっさんには、なんの反応もなかった。

ジャニスが目を開けているのに気づいた。わたしは言った。

「善く生きる、って……」

ジャニスは遮って言った。

「自分で考えろ」

ジャニスは右手で髪をぐしゃぐしゃ掻きながら大きな欠伸をした。茶色い髪の先に鳥の羽がついていた。

「自分で、死にそうになるまで考え続けろ」

柴崎友香『ビリジアン』)