2018-08-13

夢を見た。

屋上の庭。

緩やかな色彩で、パステルよりも鮮明で、それと同じ名前の香水をまとって、その庭だけでは自由でいられた。

 

とても薄情だけれど、死んだ人のことなんてどうでもいい。それも知らない人ならなおさら。「とても薄情」という言い訳を付けたけれど、これだって本心だとは思っていない。そのように有りなさい、そのようにあるはずだと、教育と、その過程で得た一般的な思考の一つであって、一皮むけば、その先には薄情ともなんとも思っていない自分がいる。

生きているものしか私にとって大切ではない。死人に時間を奪われてたまるか。あったはずの家族を奪われてたまるか。私の生きる時間を一秒だって、与えてたまるか。ずっとそこで寝ていてくれ。

 

2018-08-12

夏という季節から遠ざかっている。

星を見上げても、ここからではあまり見えないし、窓を開けるには暑すぎる。アイスはあまり得意ではないし、手持ち花火は禁止されている。職場までは駅直結で行けてしまうから地上に出る機会もない。

夏、夏というとどうだったかな、もう少し暑さ以外の要素があったと思う。例えばお盆の季節に集まる親戚だとか、家の庭でやる花火とか、町内会でやるような縁日だとか、流星群を見てみたり、がむしゃらに遠くに行ってみたり。

東京に来てから、すっかり夏を見失って、エアコンを効かせた涼しい部屋で過ごす時間がずっと増えた。

帰省もしなければ、なかなか遠出もできない。できればそういう夏は今年までにしたい。まだ、やりたいことはたくさんあって、いってみたい場所はたくさんあって、眺めたい星空はほんとうは今この頭上にある。

 

祭り囃子が、遠く聞こえる。夏を一つ、みつけた。

2018-07-16

列島が暑い暑いと声高に言って、そのとおりまさにうだるような暑さで、少し顔を上げればアスファルトに陽炎が見える。

人の作ったものにたくさん触れた、思いのようなものにもたくさん触れた、ような気がする。こういうときに「触れる」という語彙を使うのは違うかもしれない。「心に触れる」みたいなことが実感としてわからない。それをより近い言葉で表すとしたらなんだろう。実態に即すのであれば「話す」だけれど、それよりかはもう少し、表層より深い部分。

 

 

2018-06-24

全世界的にUFOの日。

イリヤの空、UFOの夏』など読みながら、ぼんやりと一日を過ごす。この本を初めて読んだのは確か中学生の時で、その内容の重さに一度読んで、数年は読み返すのが怖くなってしまった本。

2回めに読んだのは確か高校に入ってからで、大学入学後にはさらに何度か読み返した。今も、この時期になるとやっぱり読み返してしまう。

 

手紙を書いた。

旧い友人にだ。結婚したというからメッセージをということだったけれど、ずっと会っていないその人に何をどのように書いたらいいのかわからなくて、それでも幸せなら嬉しいと、短歌を送った。

 

万年筆を溶かした。

正確には万年筆のインクがしばらく使えていないうちに固まってしまってでなくなったから、中で固まったインクを溶かした。水の中で深い藍が広がって、色を染めていった。それは絹が舞うときのように美しい曲線を描いていたけれど、でも万年筆は使ってあげたいから、こうならないように気をつけよう。それにしても美しかった。

美しかったから、そのまま手紙を書いた。

2018-06-08

ある夜、生けていた花が枯れた。花の名前はなんと言っただろうか。そんなことさえ忘れてしまった。紫陽花だったかもしれないし、百合だったかもしれない、もしかしたら牡丹かも。

枯れた花をどうしようかと思って、生き生きとしていた頃の花を思い出していた。それはつい先日までのこと。

これは、誰からもらったのだっけ?自分で買ったのだっけ、それとも摘んできたものだっけ。

ずっと、ずっと考えている。書きたいことはなにか。口を開くのはなんのためか。なにを伝えたくて生きているのか。そういうことを考えながらマッチを擦って、花びら一枚一枚に火をつけていく。青黒く燃えて、瞬間、消える。

ねえ、私はあなたがとても好きですとかそういう話をしたいのかもしれない。なんのために書くかは全然わからないけれど、ああ、これはつまらないだろうなと書いていて思うのだけれど、でもねえ、とても書きたいの。書きたくて仕方がないの。燃やす花をなくしてしまったとしても、その炎が私の袖につと燃え広がってどうか、永遠に燃え続けますように。

枯れた花は、そうして、花びらから、萼から、茎も、そのようにして燃やした。窓を開けて真夜中の空気を部屋に呼び込んだら、もうすっかり花の気配は消えてしまった。

執着したいと思う。何事かを叶えられるように、私が私を放棄してしまわないように。そのように永遠に、あるはずのない永遠のように、そのように在ることができるように。

2018-5-12(名付けはいつも幸福のために)

名前を呼ばれることが苦手で、だから名前以外で呼んでもらうようにいつだって最初にお願いをする。

どうして苦手なのか、いつから苦手なのかわからない。気がつけば苦手だった。たぶん小学生の時とか、そのあたりから苦手になっていた。本当は、記憶を辿ればわかるのだと思う。でも記憶を辿ることは無意味に苦しい行為だから、それをすることはない。

それでも何人か、私のことを名前で呼んでくれる人たちがいる。大抵はとても古い友人で、年に一度、もしかしたら数年に一度しか、彼ら彼女らの口から私の名前を呼ぶのを聞くことはない。

 

心地よく響くその、遠く私を呼ぶ声に、名付けられた幸福のことを思う。