2022-12-07

日常を翻訳して言葉に落とし込むような作業をしていると、自然とうまく訳すことができなくて言葉に詰まるようなことが幾度となくある。その瞬間はもどかしくはあるものの、楽しいものだと思う。思考を挟まずに出てくる言葉ではなく、いくつかの可能性を浮かべては消し、選び、捨てて、感覚に対する近似を探っていく。

毎年、この時期にここに文章を書いていて、そのたびに私は伝わらない言葉に怯え、嘆き、自分の中から様々なものが失われていってしまうことを恐れている。このことを考えるとき、結論はいつでも同じで、「弛みなく、伝えたいことは伝える努力をしましょう」、という言葉にするまでもない結論になる。ただ、それを言葉にするというのが伝えるということだと思う。十全にそれが伝わらずとも。

私の全ては伝わらない、あなたの全てもまた、私に伝わらない。伝わるところもあれば伝わらないところもまた同じようにある、それだけのことだ。言葉とは、言葉を通したコミュニケーションとは、わかりあうためだけではなく、わかりあえないことを認識し、そしてその先の道をつけるためにある(という側面もあるように思う)。

 

同質的な感覚を持つ集団に所属することはずっとかんたんになった。職場もそうだし、プライベートにおいても結局はある程度考えが近いが人と交友関係が続くことになる。SNSだって、自分が使っていて心地よいものにしたいという意識が働くので、よほど意識しなければ自然、同質性が高くなる。だからそこまでの努力をしなくてもさまざまな感覚は伝わるように思えてしまう。

 

そこを超えて、少し遠くへ行ってみたいと思う。わかりあうためではない。別にわかりあいたくない。境界は、ある。その境界を踏み越える気はない。そこから私は未知の言葉を見つけたいし、新しい意味を見出したい。

2021-12-07

実益のあること、実学的なことから距離を置かなければ飲み込まれてしまう。そんなことを常に念じ続けなければ精神性を保っていられなくなってどれだけの時間が経っただろうか。

5年とか6年とか、それくらいだろうか。ずっと抗い続けているような心地だ。私の心が本当にそうあるのか、惰性としてそのようにあるようになってしまったのか、わからない。わからないふりをしている。

たまに詩を思い出すこと、思い出したように短歌を連ねてみること、散歩に行ってシャッターをおろすこと、この世界に尋め行くために本を読むこと、その一つ一つが私自身に対する抵抗なのだと感じている。

変わることも、変わらないことも恐ろしい。変わることに自覚がないことも、変わらないことに自覚があることも、やっぱり怖い。

見る夢は過去のことばかりになった。それも小学校から高校のころのことばかり。全てはなかったことがそこでは起こっている。

 

いつもなにかをするときに、「中学の頃の自分がそれを見て、自分を許せるか」というのが指針になっている。多分許してくれないだろうな、と苦笑いすることも、なくは、ないけれど。できるだけないようにと、そのように間違いなく思っている。

 

私が好きだったことが、今でも好きであり続けられますように、これから先も好きでいつづけられますように、と願うことは、やっぱりすこしばかり虚しいと思ってもしまうけれど。

 

朝、日が照らしはじめる外の世界をみて、美しいと思う。海を見たいと思う、遠くへ行きたいと思う。いつまでもいつまでも、思い続ける。

私は、それができる。それができるようになったよ、といつかの私に言ってみる。

2020-12-07

人間を2分法で分けて行ったとして、<私>というものが明確に規定されるまでに何回分ける必要があるのだろうかと考える。ただちに2つのカテゴリーに分けて考えるということだ。ほとんど意味のあることではない、単なる思考の遊びだ。

というようなことをやっていたら、たまたま読んでいた本(倉橋由美子『毒薬としての文学』)でも似たようなことが書かれていた。こちらは倉橋氏が人間を文学的人間とそうでない人間にカテゴライズすることに興味を持っているという話だ。

この「文学的人間」という表現は読んでわかるように非常に曖昧とした概念で、その概念を代替できる一般的な用語を探っているが、彼女の中でも明確なそれを明示できずにいる。つまりは軟派であるとか、精神的小児であるとかそういった意味合いだ(が、これがその概念をすべて包括しているわけではない)。

 

文学的人間、という言葉から想起されるそれかというと違いそうだけれど、精神的小児であるという事においては私も文学的人間であることは間違いなさそうだ。

 

そして文学は、文学的人間のためにあるという。私を含めて、そういった(明確には定義しない)人間のためだ。だとしたら、今ある文学とはなんて狭いものなのだろうと思う。文学的人間が文学的人間のために文学を提供しているのだとしたら、いずれ私はそれを受け入れられなくなる日が来るのではないかという恐怖がある。

 

いつか私が文学的人間であることを望んでか望まずかやめて、そのときに楽しめる言葉とはなんだろうか。

私は文学と呼ばれるものは好きだし、それによって生かされてきたところもあるけれど、物語を消費するものとして、守るものとして、それでいて反文学的であることができたらと思う。

2020-10-29

ずっとヘラヘラして生きていきたい、とそう思っている。そう書くと、まるで今はヘラヘラしていなくて、だからこそ願っているかのように思われてしまいそうだけれど、そんなことはない。

そんなことはなくて、今もそれなりに十分にヘラヘラしながら、つまりは様々なことを深刻に捉えることなく、ほどほどに向き合って、適度に目をそらして、そんなふうに生きている自信はある。

ヘラヘラしている頭の片隅で、そうはいってもヘラヘラしてられないんだよなというような場面がちらつくことが少々増えてきて、これが加齢によるものなのか、環境が緩やかに変わっていったことによるものなのか、あるいはその両方か、両方だろうな、ヘラヘラするのことを手放しそうになるたびに慌てて自分に言い聞かせている。

 

別に、ヘラヘラしてなくったっていいんだけどさ。いいんだけれど、私はどちらかといえば、ふらふらと、ちゃらんぽらんに、ちゃらんぽらんって初めて書いたけど、そんな感じで生きていきたいから、しがみついてしまう。しがみつくようなものでもないのにね。

ヘラヘラするのが自然体だって思っちゃったから仕方がないんだ、熱量も情熱も真面目さも全部足りてないかもしれないけれど、私は私の幻想にしがみついて明日の夢をみる

2020-6-11

仕事柄、Facebookをつかったやり取りが発生することがある。個人的にFacebookは全く好きではないので、その画面を開くときに少しのためらいと、深いため息が伴うことになる。数年周期で人間関係が移り変わる私にとって、その堆積たるFBは目をそらしたいようなサービスの一つだ。それにしても人間関係ってよくわからない言葉ですね、ここは今うまく言語化できないけれど、人間関係ってタイピングしていて鳥肌が立ちました。アンチ人間関係。

FBを仕事の都合上開いたという話。そう、それでね、「知り合いかも?(友だちかも?だったかも、覚えていないし、今開きたくない)」の欄に確かに知っている名前が出ていたので思わずクリックをしてしまいました。中学の時のクラスメイトだったか、ただの同学年の人だったか、もはや覚えていないけれど地元の人。卒業以来一度も会っていないし、それどころか在学中でさえ数度言葉のやりとりをしたくらいだったと思う。

へー、そういえばこんな人もいたなと思って、それから、私はある一つのことに気がつく。彼ら/彼女らが今どのように暮らしているのか、何を考えているのか、どのような仕事をしているのか、何も想像ができない。わからないのは当然のこととして、想像さえできないということに気がついて愕然とした。

私が通っていた中学校は、田舎の公立中で、私立中学など一校もなかったから受験の余地などなく、近隣の複数の小学校からもれなくエスカレーター式で入学することになる。そのため、必然的にさまざまなバックグラウンドを持った生徒が集まる(と思っていたけれど、そのバックグラウンドすら実は多様性なんてなかったのではと最近では思い直している)。
その中学校の生徒の7割は地元の高校に進学して、就職するか専門に行く。

そうして、地元で働くか、県庁所在地のある街で働くかする人が大半。
ではその人たちがどのように暮らしているのか、と考えたときに全く想像が及ばない。どうやって仕事に行っているのだろうか、どのような仕事についているのだろうか、家は実家なのか、新居を建てたのか、賃貸なのか、そうであればどのような間取りなのか、子供はいるのか、配偶者とはどこで出会うのか、仕事を終えた後にはどのようなことをして過ごすのか、普段よく話している話題はどのようなものなのか、季節の移り変わりに何を感じて、好きなアーティストは、画家は、作家は、そのすべてに想像が及ばない。

それはそうだという感じであるのは当然といえば当然で、完全に自分が関与しなかったコミュニティがどのような価値観をもって生きているのかなんてわかるわけないし、思えばべつにあの町で暮らしていた中学生の時だって、誰のことだって、誰一人だってわからなかった。わからなかったし、わかろうとしなかった。そしてわかるための努力をすることが本当につらかった。当時彼らが夢中になっていたものに、私は夢中になれなかった。

だから、わからないことは当然だ。あのときわかろうとしなかったのだから、時間を経て少しそちらのほうに気持ちを飛ばそうとしたっててんで見当違いな方向にしかいかない。

たとえ表層だって、わかろうとおもわなければ一生わからないままだし、別に今の私はわかろうとは思っていないから、やっぱりずっとわからないままなんだろうと思う。あるいは、ずっと地元にいたら、努力とは関係なしにわかることもあったかもしれないけれど、早々に「外」にでてしまったし、そうしないと死んでしまいそうだったから、こればかりはどうしようもない。

なんだか、いつの間にかずっと遠いものになってしまったような気がして、その備忘として。

2019-12-07

忘れてもいいか、とそう思って過ごした1年。結局、忘れられずに時間だけが過ぎ去った。
諦めるでもなく、先に進めるでもなく、なにを決めるでもなく、停滞だけしてしまったような、指にトゲが刺さったままそれを気にしないふりをして暮らすような居心地の悪さを感じながら過ごしていた。

本当は、書きたいことなんんて何もないのかもしれない。一個人の枠を超えて伝えたいことなんて、私の中にはなにもないのかもしれない。書くことができる内容はもちろんあるのだけれど、それは誰のための言葉でもない。そんな言葉をただつらつらと書いて、誰かが勝手にそれに意味を見つけて、勝手に共感をするあるいは勝手に苦しむ、あるいはもしかしたら救われる。

確信をもって言葉にできることが、日を経るごとに、歳を経るごとに、少なくなっていく。
あるのは、自分にとって確からしいと、今この瞬間に思えることだけだ。こんなにも限定的な言葉でなにかを書くのが恐ろしい。

けれども、書くことをやめることもまた、恐ろしいことだと知っている。あるいは楽になるのかもしれないけれど、楽になることをいまは恐れている。楽になってしまったら、私の言葉が生き残らないから。そうしていつか根絶やしになってしまうから。

意味がないかもしれないことは、理解している(意味があることが何かわからない)。誰一人にだって届かないかもしれないことは、理解している(届かなくったって勝手に大丈夫になる)。確かなことが、いま自分の中に何一つないことは、理解している(そんなものがあったら背を丸めない)。

意味がなくても、届かなくても、確かでなくても、大丈夫。
それでも、書かないことの方がもっと怖いから。

2019-09-01

森美術館でやっている塩田千春展を見に行こうかと、ずっと思っているけれどTwitterなどで検索してみるとあまりにも人が多そうで、尻込みしてしまう。

平日にどこか休みをとって行くことにして、ondoでやっているという中村隆さんの展示を見に行くことにする。最終日。

ondoのopenまで少し時間があるから日本橋まで足を伸ばす。いくつかのお菓子と丸善で本を買う。高野秀行さんの本を2冊と、『文明開化 灯台一直線』(土橋章宏)。

時間をかけて、自分を数年前のようなリズムに戻そうとしている。つまりは、本を買って本を読んで、行きたいところに行って、会いたい人に会う、書きたいことをたくさん覚えて、そうして書くということ。

ondoでは、気の遠くなりそうな直線の連続で構成された夏の景色を見る。爽やかで、あたたかなのに、私と絵との間にはなにか隔たりがあって絶対に近寄れないような印象を受ける。

明確にそこが異界だからかもしれない。私には夏のしっぽを捉えることはできなくて、けれども流れてく夏を見届けることはできる。そういう距離感の絵。不思議だった。