2018-2-14

とおく、水平線が光って見えた。瞬いて、瞬いて、そのたびに目を細めた。砂に描いた下手な絵は波が寄せるたびに消えて、それだけのことがどうしてか、面白い。

よく海に行くようになった。山あいの町で育ってきたから、海は遠いものだったけれど、いまはこんなにも近い。ずっと向こうの工場群がまるで蜃気楼のように揺れながら海面に浮かぶ。

木の枝を手にとって、海へ放り投げる。何度か波に押されて戻ってきて、そのたびに遠くへ遠くへと投げる。別に枝に何を重ねるわけでもないけれど、手の届かないところまで行ってほしかった。しばらく海岸を歩いて、振り返ると見えなくなっていた、よかった。

 

海風が頬に心地良い、言葉の隙間を静かに埋めていく。優しい表情ができていたらいいと思う。そのように私は、願ってみる。

 

見渡す限り、まっしろな海。光に照らされて目を細めずにはいられない。海を見るたびに空に近い場所だと思う。境界線上を見る私達もまた、境界線上に立っている。

遠くに行けると信じさせてくれる海が、好きだ。

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2018-1-30

お酒なんて、一滴だって飲めやしないのにワインを買った。1度そのワインセラーの前を通り過ぎて、スーパーに行って、わざわざ道を引き返して買ったのだから、衝動買いというよりも強い意思を持って買った、のだと思う。

家に帰ってコルクを開けるのに30分くらい戸惑った。コルク抜きは幸いアーミーナイフについていたからそれを使った。ねじ込んでみてもコルクはびくともしなかったから、お手上げだった、どうすればいいかわからない、という体験を久々にした。

ネットで検索すると、瓶を横に倒すといいとあったのでそうした。それでしばらく倒したままにしてからもう一度やってみると簡単に抜けた。なんだこんなものか。

 

注ぐ、飲む。グラスいっぱいものまない内にふらふらになった。視界が歪んだ、何一つ楽しくない。

ワイン好きな人がみたら怒るだろうけれど、そのあと、ワインを沸騰させてアルコールをできるだけ飛ばした。ミルクパンに注いだ量の半分以下になっていた。

砂糖もスパイスもなにも入れなかったから葡萄の渋みだけが浮いて、いつまでも口の中に張り付いた、顔をしかめながらのんだ。

 

保険の営業のようなものを受けながら、相手の目をそういえば私は一度たりとも見なかった。もともと人の目を怖いと思いがちな私だけれど、それでも見れなかったという体験は珍しいように思う。相手の顔がまったく思い浮かばない。もしかしたら目の下にものすごいクマがあったかもしれない、頬が痩せこけていたかもしれない。それもわからない。なんだったら相手が人間でなくても、吸血鬼とか、熊とかでも多分気がつかなかった。そうすることでしか自衛ができなかった。

 

もう二度と、一人でワインを飲むこともお酒を飲むことも、きっとない。

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2018-1-18

実用的なことの知識を身についけていく中で、たくさんの大切なことを手放してしまっているような気がして、ここ数日ひどく落ち込んでいた。

当然のように、きっと、そんなことはない。こうやって書くことで少しでもこぼれ落ちるものが減るように一秒一刻を惜しんで、その瞬間に身を宿す。

 

結局どこに行っても多分、私は同じことを思う。ある人が見ればそれは人間としての大いなる欠陥であり、また別の人が見れば世界に対する甘えなのだと言うのだろう。

 

実用的なことを覚えるたびに、今のシステムに組み込まれていく恐怖を覚える。そのシステムの中で生きる術を学んで、他のシステムの中での生き方を忘れていく。忘れていく。

 

今のシステムの中での正解を追い求めて生きることに、少し疲れた。

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2017-12-7

バースデーイブ。

夜を超える前に、朝を迎える前にとこの日はいつも日記をつけようとしている。

世界と繋がりたくて、それを自分の力でなんとかしてみたくて、もがいて、もがくだけで終わった年だったように思う。自分がいる場所だけが変わって、弱さや至らなさや醜さに憂鬱になって、眠って明日を迎えることが怖かった日々がたぶん半分くらい。

星を見上げようと思ってもここでは何を見ていいかわからないから、夜に外に出ることが減った。

川沿いにきたからもう少し外に出るかと思ったら、そんなこともなかった。夜は、空しか見たくなかった。

過去に自分についた嘘を今もまだ突き通せるのかわからない。秒ごとに弱くなっていくような感覚になる。

そろそろ、やめなければいけないと思う。見ず知らずの人の言葉に翻弄されること、強いふりをして生きること、つまりは、このまま生きること。

祈る以上のことはできるはずで、その間を惜しんで手を、足を、頭をもっと動かすことでほんの少しでも前に。

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2017-11-15

へえ、本を読むのがすきなんですね、ビジネス書とか?なんて聞かれて私は曖昧に笑う。あんまり読まないです、読めないんですと、言ったような気もする。

ここはそういう場所なのだということを思い知ったというか、知っていたことを目の前に突きつけられたような気がした。それは薄く細く鋭く、コンパスの針で手の甲を穿たれたような痛みだった。

反動のように毒にしかならないような本を帰り道に買い漁る。そんな思いで買ってもそこには空虚な思いしかないのに、それを知っているのに。

 

最近は寝ているときでさえ自我を手放すことができず、だからおおよそ24時間自分と一緒にいる。諦めてしまいたいのに、それでも私は私を手放すことができなくて、受け入れられない恐怖に怯えながら生きるしかない。

ひりついた恐ろしさと、一種の前向きな諦観によって今日もまた私は生かされる。

 

いつか、そして、『世界は蜜でみたされる

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2017-10-11(言葉による存在許容)

タイに行った。タイに行くにあたって「なんでタイ?」と10,000回は聞かれて10,000回は「なんとなく」って答えた。気の利いたこととは言えない。何となくというのは本当で、ほんとうになんとなくなのだ。ずっと昔に私の家族が住んでいたことがあるとか、そういうことは関係ない。だって開発めまぐるしいバンコクは、あの頃と同じなわけがない。だから、理由はなくて理由はないけれども、それでも行った。

 

バンコクは不思議な街だ。廃墟の横に最新の商業施設があったりする。空気は体感では東京よりもずっと汚くて、息を吸い込むたびにコンクリートの臭いがする。そこに屋台や路上のお店のスパイスの香りがしたりするから、脳が混乱する。たぶん、覚えている限りそれらを一緒に嗅いだことがなかった。

気温も湿度も高くて35度近かったと思う。湿度も90%とかそんなものな気がする。夜も朝も関係なく突然に強い雨が降ったりする。何度かそれで起きた。窓の外が何度も光って何度も雷が落ちた。滝のように水が窓を流れた。触るとガラスだけは少し冷たかった。

バイクタクシーでヘルメットも被らずに夜の街を走った。数ミリのところで車を通り抜けた。額で受ける風はやけに乾燥していて、楽しかったから、だから笑った。ちゃんと面白くて笑った。異国でバイクに乗って走ってる自分というのが遠すぎて、こういうこともあるんだな、と驚いていた。ここは日本ではないから。誰も私のことを知らない。

 

スプライトが甘かった。この国の食べ物は(日本人にとって)異様に辛いか甘いかしょっぱいかで、それはまあ、まさにその通りだった。違いをひとつひとつ見つけては、笑った。誰に向けることもなく、遠くに来ているというそれだけで笑った。誰も私を見つけはしない。

 

ここで生きた人たちは何を思うのだろうか。想像してみたけれど、想像できなかった。何が楽しくて何が楽しくないか聞きたかったけれど、タイ語はあいさつとお礼しかできなくて聞けない。祖母はもう少しできるのだろうか。

刹那的に生きている、と言ったら、どうだろう、それは違うと言われるのか、そうだと言われるのか、どっちもあるように思う。路上で20バーツや30バーツの食べ物を分けている彼らは、デパートで仕事を(適切に)サボる彼女らは、でもとても動物めいていて、それは私達の正しいひとつの在り方だった。

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2017-8-31

夕暮れ時、空はまだ赤くなくて、白に近いような青だった。涼しい風が吹いていて、建物と建物の間、銭湯の煙突の先には月がでていた。半分と少しの月。
夏の終わりの歌をくちずさみながら、歩いてみる。手は空気を指揮するようにゆれる。楽しい方はあっちかな、とよく風が抜ける方向に向かって進んでみる。
遠くの町のことを思う、この夏にいくつか訪れた町のこと。インスタントカメラを持ってその枚数分だけ写真を撮ることを決めて町を歩いた。
蜘蛛の巣に雨粒が溜まって、触れれば柔らかい糸のように雨が降り出しそうだった。
星を数えた。いくつかの星が流れたらしかった。山の端に消えていったのが見えた。
森の中の喫茶店に入って、雨音を眺めていた。どこにだって、いきたくなかった。どこにだって、いきたかった。
現像した写真は思いのほか暗くて、笑ってしまう。デジタルカメラのつもりで撮っていると光量が足りないことをようやく思い出した。27枚撮りのはずなのに、25枚しか手元に戻らなかった。
夢に揺れていた夏の残光のようなその写真たちは、淡く薄暗いなかで、それでもたしかに生きていたことを証明していた。

 

旅に出ようと、遠くの自分が誘う。そうだね、と今の自分が頷く。どこに向かうかわからない、風が背を押す。何度か振り返りながら、そちらへ進み出す。

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